おいらの青春白書【最終回】

  • 2020.02.14 Friday
  • 07:52

 

僕が中学生の頃のある日の事です。

 

家でお袋の帰りを待っていて、

帰ってきた様な気がしたのに、

なかなか、家の中に入ってこないので、

おかしいなと思って玄関へ出てみましたが誰も居ません。

 

普通なら、勘違いか・・・で終わる所ですが、

その時は、何故か気になって、

表の通りまで出てみると・・・

 

当時は、道路の脇に小さめの用水路のような下水溝があって、

その底を覗くと、

顔半分が水に浸かった状態で、

お袋が、小川に落ちて倒れていました!(@_@;)

 

僕はすぐにお袋を引き上げて、

家に運んで、毛布で包み、

すぐに救急車を呼びました。

 

小川の底に、水と柔らかい泥が溜まっていたおかげで、

それがクッションとなって、

骨折など大きな怪我はなく、かすり傷程度で済みました。

 

そう・・・中学生くらいまでは、

僕とお袋は、そんな何かで確かに繋がっていたと思います。

 

でも、今回は、

お袋を蝕んでいる病魔に気づかなかった事が悔しくて・・・

 

 

でも、あと半年、お袋が生きていてくれれば孫の顔が見せられる!

と、一日一日、祈りながら付き添う日が続いていました。

 

そんなある日、U子さんが流産してしまいました。(T_T)

 

血液型の問題で二人目の子供は望めないと思っていたU子さんは、

すっかり落ち込んでしまいました・・・

 

ところが、その日を境に不思議なことに、

お袋の様態が、医者も驚くほど回復してきて、

桜が咲くころには、車椅子で、

病院の裏のお城の堀の桜を見に行けるほどになりました!

 

もしかしたら、奇跡が起こって、

このまま回復するんじゃないかと期待するほどでした。

 

しかし、担当医は「一時的なものでしょう」・・・と。

 

そして、医者の言う通り、

その後、お袋の様態は再び悪化して、

痛み止めも効かなくなり、

脊髄にチューブでモルヒネを直接注入しなければならない様になってしまいました。

 

しかし、モルヒネを投与できる量には限度があるので、

モルヒネの効果が切れても、

次に投与できるまでは、激しい痛みに耐え続けなければなりません。

 

モルヒネが効いている間は寝ているか、

起きていても意識が朦朧としている状態で、

効き目が弱って意識が戻ると、

すぐに、耐えがたい激痛が襲ってくるという繰り返しです。

 

そんな日々が続いて、

流産した子の誕生予定日の前の日・・・

 

その日は、何故か、お袋の意識がしっかりして、

機嫌も良いまま夜を迎えて・・・

 

お袋が末期の癌だという事は最後まで告げられませんでしたが、

お袋も判っていて覚悟していたのは間違いないと思います。

 

それでも、敢えて、病気や死の話を避けるのではなく、

むしろ、お袋が病気や死の話をしても否定せずに、

話を合わせて、冗談話にして、会話をするようにしていました。

 

その晩、当時流行っていたモンチッチのぬいぐるみを、

腹話術の人形の様に操りながら、

「天国ごっこ」をして、お袋と笑って過ごしました。

 

この日、お袋は一晩中、意識がはっきりしていて、

朝方まで語り明かしました。

 

そして、夜が明ける頃、

突然「来たよ・・・」

と言い出し、

「今、通用口から入ってきた。」

と言うので、

僕も「え!?何が?ホント!怖ぁ〜い」

と話を合わせていたのですが・・・

 

「今、階段を上がってきた・・・」

と言った後に、

「おまえは、朝ご飯を食べてきなさい。」

と言うので、

1階の食堂に行って、ラーメンを食べて、病室に戻ると・・・

 

お袋の隣のベッドで寝ていた筈の親父が廊下に立っていて、

病室を覗くと、

医者と看護婦がいて、お袋に心臓マッサージをしていました。

 

オヤジが「もうダメかもな」と言うので、

その時は「このヤロウ!」と思ったのですが、

オヤジは自分に覚悟を言い聞かせていたのかも知れません。

 

やがて、病室から医者が出てきて、

「ご臨終です」

 

病室に入ると、ベッドの上で、

お袋が安らかな表情で横たわっていました。

 

お袋の胸の上に頭を乗せると、

「ふぅ・・・」

と、お袋の口から、まるでため息の様に息が漏れました。

 

やっと楽になったね・・・お袋。

 

医者から、

「お母さんが、何故これほど頑張れたのか理由を調べたいので、

 解剖させて貰えないでしょうか?」

と言われ、

お袋の頑張りが、今後の医療に少しでも役に立つなら、

お袋もきっと了承するハズだと思って、

承諾しました。

 

お袋が戻って来るまで、

僕は、お袋のベッドに横になって待ちました。

 

10か月間、

お袋は、この天井と、

窓から見える景色だけ見て、頑張っていたんだなぁ・・・

と思ったら、

涙が溢れて来ました。

 

解剖が終わって、

医者からの説明を聞きました。

 

「内臓は殆ど全部ボロボロになっていて、

 引っ張ると、プツプツと千切れるほどでした。

 こんな状態で何故生きていられたのかは驚きで、説明がつきませんが、

 よほど、心臓と精神力が強かったのでしょう」

 

僕とU子さんは、

亡くなった僕らの赤ちゃんが、

その命で、

お袋に力を与えてくれたのだと信じています。

 

【完】

おいらの青春白書【39】

  • 2020.02.09 Sunday
  • 20:31

 

式の後、ご祝儀で結婚式の費用を清算しても、

まだ余る金額だったので、

予定してなかった新婚旅行に、急遽、行く事にしましたぁ〜!o(^o^)o

 

旅行のルートやスケジュールも自分たちで決めて、

宿泊先の予約や旅券の手配も自分でしました。(^_^;)

 

旅行のルートは、ほぼ高校の修学旅行?(^○^;)

 

1日目は夜行寝台列車の車中泊で、

2〜3泊目が京都ロイヤルホテル、

4〜5泊目が奈良ホテルの5泊5日でした。

 

40年前の京都・奈良の観光地は、

外国人観光客どころか、人っ子一人ないという、

珍しいぃ〜写真集ですぅ〜!?(爆)

 

京都の1日目の最初は「東本願寺」。

ほぼ貸し切り状態で、境内にはハトしかいません!(^○^;)

 

01_東本願寺.jpg

 

「三十三間堂」も貸し切り状態ぃ〜!(爆)

 

 

02_三十三間堂.jpg

 

「清水寺」も貸し切り状態ぃ〜!

清水の舞台に、人っ子一人いません!(爆)

 

03_清水寺.jpg

 

「平安神宮」も貸し切りぃ〜!(爆)

 

04_平安神宮.jpg

 

京都ロイヤルホテルにチェックインして、

部屋からの夜景です。

 

部屋の中が明るいのに、窓の外に夜景が写っているのは何故でしょう?(笑)

 

05_京都ロイヤルホテルの部屋から夜景.jpg

 

京都の二日目、先ずは「京都御所」へ。

ここでも、貸し切りぃ〜!(爆)

 

06_京都御所.jpg

 

「金閣寺」も貸し切りぃ〜!(爆)

 

二組のカップルは、どちらも僕とU子さんです。(笑)

 

07_金閣寺.jpg

 

「仁和寺」も貸し切りぃ〜!(爆)

 

08_仁和寺.jpg

 

嵐山の「渡月橋」も貸し切りぃ〜!(爆)

 

09_嵐山渡月橋.jpg

 

ホテルに戻ってから、夜、喫茶店「聖家族」を訪れました。

 

10_喫茶店「聖家族」入口.jpg

 

石さんは、小ざっぱりしていて全然分かりませんでしたぁ〜!(^○^;)

 

丁度、ジョン・レノンの追悼をしていて、

お客さんにお坊さんがいたので、お経を上げて貰いました。

 

11_喫茶店「聖家族」店内.jpg

 

三日目は、奈良への移動の途中に「平等院」へ。

ここでも、正面の団体客以外は、誰ぁ〜れもいません!(爆)

 

12_平等院.jpg

 

東大寺の「大仏殿」も、こんなにガラガラ!(爆)

 

13_東大寺大仏殿.jpg

 

三日目と四日目の宿泊は「奈良ホテル」

由緒あるレトロな建物が素敵です!

 

14_奈良屋ホテル.jpg

 

廊下や手すりもイイ感じです。o(^o^)o

 

15_奈良屋ホテル_2.jpg

 

部屋も広々ですぅ〜!\(^o^)/

 

16_奈良屋ホテル_3.jpg

 

四日目の最初は「薬師寺」

ここも、貸し切りぃ〜!(爆)

 

17_薬師寺.jpg

 

「法隆寺」も貸し切りぃ〜!(爆)

 

18_法隆寺_1.jpg

19_法隆寺_2.jpg

 

「夢殿」も貸し切りぃ〜!

 

20_夢殿.jpg

 

実は・・・

奈良ホテルに結婚指輪を置き忘れてしまいましたぁ〜!(^○^;)

 

で、ホテルの清掃員?さんが見つけてくれたらしく、

郵送されてきました!o(^0^)o

 

指輪の忘れもの.jpg

 

【続く】

 

おいらの青春白書【38】

  • 2020.02.08 Saturday
  • 18:38

 

お袋が「明日をも知れない」と宣告されて、

家族で24時間、付き添う事になったのですが、

家族と言っても、オヤジと僕しかいません。

 

昼間は、オヤジが付き添って、

僕は、勤務先の会社にお願いして、午前だけ仕事して、

午後から、増改築したばかりの家に帰って、

独りっきりの家の寝室で仮眠を取っては、

夜は病院へ行って朝まで付き添うという生活が続きました。

 

元々、血圧が高くて薬を飲んでいたオヤジは、

付き添い中に倒れて、

お袋と同じ病室に入院して、

治療を受けながら、付き添いをするという状況に・・・

 

そんなある日、

U子さんから、妊娠したと言われました。

 

僕は、大喜びで、

彼女の両親に、彼女との結婚を申し込みに行きました。

 

元々、彼女の両親は、僕との結婚に反対していた訳では無く、

僕のお袋が入院して、そんな話が出来ない状態だったので、

僕の申し込みを快く了承して貰えました。

 

兎に角、お袋が生きている内に結婚式を挙げたい!

 

できれば、孫の顔も見せてやりたい!

 

そう思って、兎に角、大至急、結婚式を執り行う事にしました。

 

本来なら、仲人は会社の上司とかにお願いするべきでしたが、

兎に角、急いで式を挙げたかったので、

仲人は、僕の兄夫婦に頼みました。(^○^;)

 

前にちらっと書きましたが、

僕の兄弟は全員、苗字が違うので違和感がありません。(^_^;)

 

そして、お袋は当然、式には出られないので、

一番上の姉が母代わりに出席して貰う事にしました。

 

姉と僕の年の差は20歳で、

親父と姉は18歳違いなので、

オヤジより僕の方が歳が離れていて、

年齢的に親子と言ってもおかしくありません。(^○^;)

 

お金も時間も無いので、

披露宴の引き出物は、僕の職場の取引先から会社の仕入れとして卸価格で購入して、

一つ一つ、自分たちで包装しました。(^_^;)

 

結婚式と披露宴の会場は、中学の同窓だった友人がやっている割烹で、

格安友人価格?(笑)でお願いして、

酒や飲み物も持ち込みました。

 

式の前日、僕=新郎自身が酒を式場へ持って行ったら、

応対に出た従業員に「二階まで持って行って」と言われましたぁ〜(^○^;)

僕が新郎だっての!」(爆)

 

式の司会も友人がやってくれて、

友人たちが式を盛り上げてくれて、

楽しい式になりました。

 

ちなみに、クミちゃん(仮名)も新婦友人として出席してくれて、

クミちゃんの結婚式には、U子さんも出席しました。(^_^;)

 

【続く】

おいらの青春白書【37】

  • 2020.02.06 Thursday
  • 20:26

 

U子さんとは、なかなか結婚の話が進まないまま・・・

 

それでも、僕は、結婚を意識して、

自宅を増改築する事にしました。

 

4.25畳しか無かった僕の部屋を潰して、

道路側の庭のスペースをクルマが2台入る車庫にして、

その2階にリビングと寝室を増築して、

玄関と応接間とダイニング・キッチンと、

お風呂とトイレの配置はほぼ同じで、

改築する事にしました。

 

増改築の工事の間は、

奥に残した居間と寝室でそのまま生活をしていました。

 

なので、家を出入りするために、

家の床と地面の段差を、

簡易的な板を敷いて、そこから出入りしていました。

 

ある日、お袋が、その板で足を滑らせて転んで腰を打ってしまいました。

 

幸い、骨折は無かったのですが、

腰が痛いと、整形外科へ通ったのですが、なかなか良くなりません。

 

あそこが評判が良いと聞けば、その病院や接骨医院へ行き、

何件も通ってみても、一向に良くなりませんでした。

 

半年ほど経って、

増改築していた家が完成する頃になっても、

お袋の具合は良くなりませんでした。

 

流石におかしいと思って、

県立病院で検査をしてみると、

その場で入院となって、すぐに手術になりました。

 

手術の後、医者が・・・

 

「開いてみると、そこら中にガンが転移していて、

 手の施しようが無かったので、そのまま閉じました。」

 

「じゃあ、今後はどんな治療になるのか?」と聞くと、

「余命は、今日明日かも分かりません」

という返事が・・・

 

実は、お袋は、僕が生まれた北海道に居た時、

子宮がん、乳がん、甲状腺がんと3回の癌の手術を受けています。

 

3回目の手術の際は、

流石に、お袋も死を覚悟して、

「生まれ故郷で死にたい」

と言って、北海道から新潟のガンセンターへ転院して、

そこで手術を受けました。

 

僕が、小学校6年の時で、

もうすぐ修学旅行だったので、

僕は、修学旅行が終わってから転校する事になりました。

 

北海道の小学校の修学旅行は、

洞爺湖と昭和新山、白老のアイヌコタン(アイヌ部落)でした。

※.現在では、白老は「ポロトコタン」という記念施設になり、

  アイヌコタンは阿寒湖にあります。

 

ちなみに、昭和新山は昭和20年に、

畑だった場所に突然、溶岩ドームが隆起して、

10か月ほどで形成された火山です。

 

僕が修学旅行で行った時で、

昭和新山が誕生から20年ほどの出来立てホヤホヤの火山でした。(^○^;)

 

で、僕が、現在まで住んでいる新発田に転校してくると、

転校先の小学校でも修学旅行の時期で、

僕は、転校前と転校先の両方の修学旅行に行きました。o(^0^)o

 

で、その時は、お袋の手術は成功して、

その後、10年以上も再発もせずに、

人一倍活発に、いろいろな活動もして元気でいたので、

すっかり安心していたのですが・・・

 

思えば、もっと早く、

県立病院かガンセンターで精密検査を受けるべきでした。

 

もしも、過去に戻れるのであれば、

真っ先に、

お袋が最後のガンの手術をした10年後に行って、

ガンセンターで精密検査を受けさせたいです。

 

今日明日も知れない、お袋の「死」という宣告を受けて、

その日から、病院でお袋の付き添いを始めて、

僕に何ができるのか?を考える日々が続きました。

 

【続く】

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